山崎三省先生の業績

猪川 嗣朗

元鳥取大学医学部附属ステロイド医学研究施設化学部門教授・施設長
元鳥取大学医学部臨床検査医学講座教授
元鳥取大学医学部附属病院検査部長
鳥取大学名誉教授


第1章 山崎三省先生

 山崎三省(かずみ)先生の業績を深く理解するためには、先生の生い立ちを知ることから求められよう。
 広島県西条市のとある作り酒屋に生まれ、「幼い時から大きな桶から酒の醗酵の音を聞いて育ったからね」とよく洩らされていた。そのせいか、早くから酒造に興味を持ったのかも知れない。化学には幼い頃から興味を持っていた様だ。その後、医者になるべく岡山医科大学に進み医師となるが、既に胆汁酸、ステロイドの分野で高名であった清水多栄教授の生化学教室の門を叩く。その当時清水多栄教授は、ノーベル賞受賞者のH.V.Wieland教授の下でドイツ留学を終え、胆汁酸生合成に関する研究を精力的に進めていた。 胆汁酸生合成の代謝経路の解明であった。当時の代謝物の同定には、生物試料から代謝産物と思われる胆汁酸を結晶法で比較的純粋に取出し、あらかじめ生合成した胆汁酸標品と一致するかを検討して同定していた。これらの為には、いずれにしても純粋な結晶を得なければならなかった。元素分析、融点、旋光度などの決定で標準品を決め、その値との一致や同定したい胆汁酸と標準品を混合しても融点、旋光度などが変らないなどの試験が同定を決めていた。山崎先生は医師であったが化学にも優れた才能を持ち、生物試料であれ、合成過程のものであれ,結晶を析出させるのは天才的な能力の持ち主であった。その頃、清水多栄教授は彼が提唱するエルゴステリンからデヒドロコール酸を経て各種の胆汁酸が生合成されるとのエルゴステリン起源説の証明に全力を傾けていた。そのため各種の魚や動物の胆汁酸を調べ、共通する代謝系としてその存在を証明するため、夥しい数の検体数や胆汁量が必要であった。そしてその多くの試料の分析が必要とされた。代謝過程の各ステップで想定される胆汁酸誘導体の合成のため、それに堪能な山崎三省先生に多くの役が回り、研究者仲間の指導にも奔走した。これら一連の仕事は当時の世界でもトップレベルの仕事で、大いに胆汁酸の生物系統樹への造詣を高め、胆汁酸の主にステロイド核の化学合成のエキスパートに成長させ、その後のリーダーとしての基盤を確立することとなった。多くの胆汁酸誘導体が、彼および門下生によって合成され、魚や実験動物によりステロイド核に関する水酸基の脱水、還元、立体配位等に関する多くの優れた新業績を上げている。同じ清水多栄門下生である数野太郎教授一派が、主にステロイドの側鎖の代謝研究に優れた業績と上げたのと対照的である。その後、国策によって満州医科大学の生化学教授として転出、敗戦を迎えたが、現地の医療と医療関係者の教育のため抑留され、昭和23年に米子医療専門学校の米子医科大学への昇格に伴い、生化学教室の教授として帰国した。


 その辺りの詳しい事情は、猪川の「胆汁酸関連の業績」の項で述べている。しかし彼は苦境にあったにもかかわらず学問に対する情熱は衰えず、それまでの経験を糧に日夜勤務に邁進した。米国のハーバード大学のFieser教授の下への留学も叶い、夢が実現し始めた好機でもあり、一段と教育・研究に専念した。帰国後は彼のそれまでの業績と経歴から大学での要職が待ち構えており、医学部長や米子医科大学長を務めるなど多忙な職務を全うした。その間、これらの彼の 苦酸に満ちた生活から得た教訓を大学での教育・研究に反映し、その大役を存分に発揮した。山崎は研究面では医師でもあったので、化学合成のみならず胆汁酸の意義や臨床応用についても強い関心を持っていた。彼はいつも「胆汁酸が血中に一定濃度で保たれているには、単に脂肪やホルモンの吸収に貢献しているだけではない。何らかの生理的に重要な役を演じているに違いない。それを見つけ出したい」と事あるごとに話していた。今日、その後の多くの研究者により、生体における胆汁酸の広義の意義が飛躍的に明らかにされつつある。 彼の研究の特色は単に胆汁酸の代謝経路の解明だけではなく、早期から臨床医学への応用に眼を向けていたことにある。最近、胆汁酸研究の進歩と展望―これからのbreakthroughを目指して―との特集が、肝胆膵(アークメディア)から出版された。 数々の新知見が報告されたが、特に山崎三省先生がその時代から強い関心を持っていたのは、胎児の肝臓が一度造血器官となり、加齢とともに本来の肝臓に変化し出産に至ることである。そのメカニズムの一端を「胆汁酸の未知なる役割:造血と胆汁酸」と題してルンド大学幹細胞研究所分子医学・遺伝治療分野に留学している三原田賢一氏が、小胞体シャペロン、小胞体ストレスの関連からも考察して、そのメカニズムの解明を試みているとのことである(肝胆膵 72(5): 923-930, 2016)。
 改めて恩師山崎三省先生の予言者の如き当時の言葉が脳裏を掠めた。古い伝統と高度の知識と技能の集積のある日本の胆汁酸研究のますますの発展にその役を担う存在になることを願ってやまない。


第2章 山崎三省先生の功績

 山崎三省先生の功績は山崎三省一派の主な研究テーマから伺い知ることが出来よう。この章では胆汁酸に関するものに限定して特記すべき代表的なものに留めて列挙する。


① 胆汁酸ならびにステロールの化学的誘導体合成とその代謝に関する研究

 山崎三省先生の最も得意とされた分野であり、長年の胆汁酸合成の経験から生体で3β-OH,Δ5のコレステロール核を持つ胆汁酸から日常見かける胆汁酸も作られるのではないか、とかなり前から考えておられたようである。それを証明をすべく猪川に、コレステロール核に7α-OHが導入された 3β,7α-dihydroxychol-5-enoic acid-24-14Cやその前駆体の3β-hydroxychol-5-enoic acid-24-14C, 3-oxo-7α-hydroxychol-4-enoic acid-24-14Cの合成を指示され、それを用いた動物実験を行った。その成果はYonago Acta medica 5: 21, 1971、J. Biochem. 71: 579-587, 1972、J. Biochem. 82: 1093-1102, 1977に報告され、胆汁酸のYsmasaki Pathwayの存在を証明することに貢献した。この経路はMitropoulos et al (Biochem. J. 103: 472-479, 1967)らによっても提唱されているが、Javitt教授らもこの代謝経路をYamasaki Pathwayと呼んで支持しており、胎児や小児、また胆汁酸代謝障害のある成人にも見られるなど、この分野での研究の発展に貢献した。これら一連の成果は、鳥取大学の定年退職後に教授として転出された川崎医科大学生化学教室にてYamasaki K et al. Kawasaki Med. J. 4: 224-264, 1978に報告されている。またこれらの生化学教室の研究内容や経時的情報については、鳥取大学医学部生化学教室開講45周年記念誌として発行されたCommemoration(平成3年5月1日)に報告されている。
 その他多くの業績の詳細については、Chemistry and Physiology of Bile Acids and The Pineal Body. K.Yamasaki and His Collaborators Part Ⅰ 1933-1960. 山崎教授退官記念事業会 大学印刷株式会社 およびChemistry and Physiology of Bile Acids and The Pineal Body. K.Yamasaki and His Collaborators Part Ⅱ 1960-1971. 山崎教授退官記念事業会 大学印刷株式会社 に記載されている。


② 胆汁酸からステロイドホルモンの有機合成

 ブタ胆汁酸からステロイドホルモンの有機合成。彼の卓越した有機合成能力の高さを示すものである。


③ 動物種による胆汁酸の生合成・代謝に関する研究

 無脊椎動物には胆汁酸は存在しない事の証明。


④ 胆汁酸の測定法に関する研究

 胆汁酸の酵素的測定法の開発を行い、臨床面での学術に大きな貢献をした。


⑤ 胆汁酸と細菌相互関係に関する研究

⑥ 胆汁酸と各種疾病に関する研究

 山崎三省先生は、敗戦後日本のステロイド化学分野を学術的に高めたパイオニアであり、世界の一流とこの分野の研究者に認められていた。戦後程なくハーバード大学のL. F. Fieser教授のもとに留学を認められたことからも、当時のステロイドに関する研究者としてトップクラスであったことが伺い知れる。胆汁酸ばかりでなく、ステロイドホルモンを始めステロイド化合物の有機化学分野には卓越した才能を持っておられた。大学では医師を始め、学生、医学関係者への医学教育にも熱心で、多くの優秀な人材を育成したことも研究者として異色の特徴であり、大きな功績と言わざるを得ない。山崎一派は、かつて岡山大学医学部生化学教室で同僚であった広島大学医学部生化学教室の数野太郎教授、数野一派とも良い交流の機会を持ち、相互に切磋琢磨の環境を醸成した。高齢となった胆汁酸研究者達にとっては恩人ともいえる逸材であった。