中山文夫教授は昭和26年九州大学医学部を卒業し、昭和27年に九州大学医学部第一外科に入局と同時に大学院医学研究科に入学、薬学科西海枝東雄(さいかちはるお)教授のもとで当時第一外科の研究の主流であった胆石症の成因、および胆汁の主成分である胆汁酸の研究に没頭された。昭和30年に大学院終了後、九州大学医学部附属病院副手に採用され、同年7月より米国ミシガン州立ウェイン大学に留学、昭和35年1月からはスウェーデン国立ルンド大学スウェーデン医学研究委員会客員研究員として留学、ウェイン大学よりMaster of Science in Surgeryの学位を授与された。昭和36年に約6年の留学を終えて帰国、昭和36年九州大学医学部附属病院助手、昭和41年医学部講師、昭和47年九州大学医療技術短期大学部教授を経て、昭和50年7月九州大学医学部第一外科学講座の第6代教授に就任された。
中山教授は研究室を指導し、胆石・胆汁酸組成の微量分析法の開発、経口的胆石溶解剤の開発、胆石症頻度と胆汁組成の相関、胆汁酸腸肝循環の研究、ガスクロマトグラフィー質量分析計を用いた胆汁酸代謝の研究、肝内結石症成因の研究、胆管癌の集学的治療法の研究など、肝胆道疾患についての研究を推進された。
近年の胆汁酸分析の進歩にはガスクロマトグラフィー質量分析法が大きく寄与しているが、この当時はまだ開発途上であった。昭和55年に中山教授は島津製作所の最新鋭のガスクロマトグラフィー質量分析計GC-MS9020の第1号機をいち早く教室に導入された。この器械は大きな部屋を専有する1トンを越える分析器と分析器のコントローラー、ワークステーション、磁気ドラム記憶装置からなる壮大なものであった。柳澤次郎雄助手をはじめとする多くの教室員が機器の改良および胆汁酸の超微量分析定量法の開発に携わり、安定同位体標識胆汁酸やステロールを内部標準としてpmolオーダーの分析が可能となった。このようにして実際の分析を通じて改良されたGC-MS9020は、その後日本中の多くの研究室に採用されていった。このGC-MSを用いることによって肝組織内胆汁酸や血中の胆汁酸前駆体の超微量分析が可能となり、胆汁酸代謝や胆石症の成因の研究が大きく進歩した。
昭和56年、中山教授は厚生省特定疾患肝内結石症調査研究班の班長に指名され、肝内結石の化学分析、疫学調査、肝代謝酵素、肝組織の病理学的検討、肝内結石症の臨床分類など、多方面の研究に指導的役割を果たされた。これらの研究はわが国が世界に誇る研究のひとつとして評価され、平成元年ポーランド外科学会百年祭において表彰された。
中山文夫教授が就任以来終始目指されていたのはacademic surgoenであり、外科手術を行う単なる技術屋ではなく、疾病の成因や病態の本質を究明する外科医として医学を極めることであった。その熱意に従った教室員の努力により、中山教授就任以前には邦文論文がほとんどであったが、在任後期には数多くの英文論文が発表されるようになっていた。昭和61年12月、中山教授のメインテーマである胆汁酸代謝に関する国際会議International research conference on bile acid metabolism: present and futureを開催、Alan F. Hofmann、Jan Sjovoll、KDR Setchell、Roger Solowayなどの国際的研究者を招待し、国内からも胆汁酸代謝の専門家が福岡に集い、胆汁酸代謝研究の最前線を討議した。この国際会議では、先に述べたガスクロマトグラフィー質量分析計による超微量分析の成果を多くの教室員が発表し、注目を集めた。
平成3年3月10~13日、会場福岡サンパレスに出席者1021名を集め第8回アジア外科学会が開催された。海外からはJC Thompson, TE Starzl, GB Ong, WJ Rudowski, M Marberger, KA Kelly, SA Wells, JP Kim, DL Nahrwold, RS Jones, RD Soloway, DSB Hoon, L Atkinsonなどの錚々たる外科医、研究者が集い、学会公用語は英語で、6題の特別講演、27のシンポジウム130演題、一般演題253題、ビデオ8題を含む397題の演題が発表された。中山教授は3日目のPlenary lectureにおいてIn quest of the cause of gallstone diseaseと題し、自らのまた九州大学第一外科での胆石症および胆汁酸研究の集大成を講演された。かくして、中山教授時代の最後をかざる第8回アジア外科学会は成功裏に終了し、平成3年3月31日、中山文夫教授は16年間の教授職を定年により辞された。