胆石研究としては、故槇哲夫教授(東北大学名誉教授、日本外科学会名誉会長、東北労災病院名誉院長)が、昭和20年、東北大学医学部助教授から秋田県立女子医専教授(37歳)を歴任し、弘前医科大学(昭和24年)に赴任している。その後、弘前大学医学部槇外科 ➝ 第二外科 ➝ 現在消化器外科学講座と名称変更している。
青森県、秋田県には当時しばしば急性腹症患者がおり、胆石発作より回虫(ascaris lumbricoides)の胆道迷入によるものが多かった。また当時の日本人胆石症は欧米のコレステロールを中心とする胆石症と大きく異なることを槇先生らは見出した。研究を押し進めると、日本人胆石症はビリルビン結石が多く、赤血球の内に存在していたヘモグロビンがビリルビンに変化し、肝で抱合型ビリルビンとして胆汁に排泄される。この抱合型ビリルビンは胆のう感染を合併すると、大腸菌の有するβ-glucuronidaseによって遊離ビリルビンに変換される。これが胆汁中カルシウムと結合し、ビリルビン・カルシウムを形成して結石の原因になるとした。
その後、槇先生は東北大学外科に栄転し(昭和36年)胆石症研究を発展させた。また、先生は数年に1度、五所川原市にある白生会胃腸病院の会長で弘前大学外科第1期生の佐藤浩平先生の所で講演されているが、白生会胃腸病院の食堂には先生からの色紙が3つ掲げられている。1972年には「和顔愛語、萬象皆師」、「病院を愛し、病人を愛し、向上を愛し、勤労を愛す」(昭和54年)など、先生の医師として、医学者として、人間としての哲学、考え方が表現されている。
一方、弘前大第二外科では、胆石研究から胆道疾患、時にvater乳頭、oddi筋筋電図など、生理研究の方に軸足が向くことになる。
内科系では、昭和49年卒業の中村が、臓器相関の立場から慢性膵炎非代償期の胆汁中では胆汁酸のうちglycochenodeoxycholic acid(CDCA)分画が少なく、糞便中にCDCAが多く排泄されていることを見出した。また糞便中胆汁酸は脂肪便のある例では3倍くらいに増加し、軽度の胆汁酸吸収不良が存在しているとした。この理由は膵外分泌不全では上部小腸pHが4以下になる頻度が多く、胆汁酸の解離定数に従ってCDCAが可逆的に腸管内で沈殿し、未消化物に吸着して糞便中に多く排出されるためと考えられた。また、糞便中胆汁酸一斉分析系を利用して、小腸切除、陰イオン交換樹脂、Nieman-Pick like 1 protein阻害剤、ポリフェノールなど投与後の糞便中脂肪、中性ステロール、胆汁酸の変化などに検討を加えている。更に近年、13C-glycocholic acidを合成し、bacterial overgrowth syndrome診断に利用している。
牧野 勲先生は昭和56(1981)年、北海道大学第2内科から弘前大学第3内科助教授として着任した。第3内科で専門外来である胆膵(GP)外来を担当、主に肝胆疾患を中心に診療を行っていた。研究面では、北海道大学時代に行っていた肝疾患と尿中硫酸抱合体の尿中排泄と予後の問題を、当第3内科の中村らに教授した。また、ウルソデオキシコール酸(UDCA)やケノデオキシオール酸などの胆石溶解療法の確立や、これと関連して血中微量UDCAのラジオイミュノアッセイ法を確立した。
また、秋田県阿仁合のマタギから得た熊胆の胆汁酸分析を行い、いわゆる琥珀胆と黒胆との相違点を検討し、東洋医学とも符合するUDCAの有効性を証明した。更に胆汁生成や溶解機序の一環として、人工胆汁におけるCa塩溶解性について、胆のう胆汁と比較検討も行った。
第3内科の同門会誌「えんれい会」には、「山に行って小石を拾い、持ち帰った小石を眺めて山を想う」と書かれており、これが研究のあり方だと力説している。
1988年に弘前大学第3内科助教授から、旭川医科大第2内科教授に栄転した。
槇 哲夫
昭和20(1945)年 東北大から秋田県立女子医専 教授
昭和24(1949)年 弘前医大外科 教授
昭和36(1961)年 東北大外科 教授
牧野 勲
北海道大学医第2内科 助手
昭和56(1981)年4月〜1988年 弘前大学第3内科 助教授
昭和63(1988)年 旭川医科大学第2内科 教授
中村 光男
昭和49(1974)年〜平成25(2013)年 弘前大学
平成13(2001)年〜平成25(2013)年 弘前大学医学部保健学科 教授
平成25(2013)年〜弘前市医師会健診センター